エミルは呆然としていた。並んだ皿の上から次々に消えてゆく、料理の量とスピードに。
カーレルが自宅がわりに滞在している安宿「こんな宿もあるさ亭」から、徒歩でしばらく行った先にある、薄汚れた食堂である。幾つかのランプで照らされただけの、薄暗く椅子やテーブルの並びも雑然とした狭い店内は、ちょうど夕食時というせいもあるが、びっしりと客で埋まっていた。
なんでもカーレル曰く、これで「シャザレイムで知る人ぞ知る美味い店百選リスト」に入っているらしい。確かに料理そのものは美味かったが、しかしこの街にはそもそも料理店が百軒以上もあるのだろうかと、内心エミルは首をかしげていた。
それにしても……。
「す……すっごくよく食べるんですねえ……」
丸テーブルの向かい側で、運ばれてくる料理をまさしく一心不乱に次々と平らげているカーレルに、ようやく圧倒されていたエミルは言葉を発した。
「あん?」と口の中にものを詰め込んだまま、カーレルが皿から顔を上げる。その時彼が格闘していたのは、食用鳩の香草包み焼きであった。
迷惑をかけたお詫びもかねて奢る、というエミルの申し出に、よほど飢えていたらしいカーレルは、躍り上がるようにして乗ってきた。
あの二人の子供のように見える「小人」達もしっかりついて来ており、それぞれエミルの左右に分かれて座り、料理の数々を少しずつ皿に取り分けて、マイペースに食事を続けている。
「そりゃおまえ」
口の中のものを飲み込んでから、カーレルは口を開いた。
「魔道士が食わねえでどうすんだよ。魔法ってのは莫大なエネルギーを消費するもんだろ」
「それはそうですけど……」
「おまえこそ食わねえのか? そんなヘロヘロした身体じゃ、《高位魔法》みたいなでかい魔法なんて扱えねーぞ。魔道士は体力が資本! 立派な魔道士を目指すなら、まずは食え」
「は、はぁ……」
説教なのか単なる持論なのか分からないことを言われ、エミルはやっとフォークを取り上げ、自分の前に置かれた皿の料理をつつき出した。
そうしながら、確かにこの人はモグリにならざるを得ない「規格外」なのかもなあ、と思う。
少なくともエミルの中に漠然と存在していた「魔道士」なる存在のイメージ──くるぶしまでのローブをまとい、思慮深そうに薄闇にたたずんでいるような──とは、このカーレルという男は、あまりにも異なりすぎていた。
「あの……聞いていいですか」
考え考えのせいかやはりどうも食がすすまず、脂の乗った豚の角煮をフォークの先で突き刺しながら、エミルは口を切った。
皿ごと持ち上げて野菜スープをかきこんでいたカーレルが、何も言わず目だけをチラと動かした。
「どうしてモグリなんですか? 大陸でも指折りの、最強とも謳われるほどの黒魔道士《魔剣グラム》……それほどの魔道士なら、『魔道士ギルド』だって諸手をあげて歓迎するはずでしょう。力の強い魔道士は、ギルドにとっても権威の象徴だろうし」
魔道士ギルド。すなわち国家を越えた枠組みで運営される、大陸中の魔道士達による寄り合い同業者組織。魔道士達自身が、その神秘の力が無秩序にふるわれることを互いに戒め、規律に守られ秩序立った組織を運営することによって、本来なら得体の知れない存在である自分達を世間に受け入れさせている組織、である。
「魔道士ギルドに加入している」といえば、たいていの人は「まっとうな魔道士」として認知した。実際にギルドは、登録の見返りとして、組合員である魔道士に様々な仕事を斡旋したり、ある程度の生活の保障を与えたりもしている。
いわば「魔道士ギルドに登録する」ということは、魔道士などという「魔力を持たざる一般人」から見たら得体の知れない存在が「社会的に認知される」ためには、どうしても必要な措置である。この登録を拒むと、カーレルのように「モグリ」だのなんだのという、不名誉な呼び方をされてしまうわけだ。
実際、エミルには分からなかった。そりゃあギルドに登録するということは、それなりに上納金も必要だし、面倒やしがらみもついてくる。だが、それによって得られる見返りは絶大なはずなのだ。社会的信用、安定した生活、仕事の斡旋、魔道士同士の交流や研究の機会、等々。
それをなぜ、あえてこの「大陸指折りの魔道士」とさえ言われるカーレルが拒んでいるのか。
だが、その疑問に対するカーレルの返答は一言、
「うざったいからだよ」
だった。
意味がよくわからず、え、と聞き返したエミルに、きれいにカラになったテーブルを皿に置きながら、カーレルは面倒くさそうに続けた。
「規律だの秩序だの、ンなもんいちいち気にしながら魔道士やってられっかよ。それにフリーでやってるぶん、ギルドなんかにゃ持っていけないようなヤバい話、つまり儲けのでかい話も転がり込んでくる。上納金もショバ代もいらない。いいことずくめだろ」
「ヤバイ話って、それってつまり非合法な……」
「依頼人がいて、納得できる話なら請けるだけだ。そもそも俺みたいな奴のところに来る依頼人自身、んなこたあ問題にしてないからな」
淡々と言ったカーレルに、「この人、ひょっとしてものすごくヤバイ人なのかもしれない」と、エミルは内心でややひるんだ。
そこに、黙々と食事にいそしんでいた小人たちが、ぼそぼそと口を出してきた。
「まさに人知れず、ターゲットを闇から闇へと葬り去る黒い始末人ずらよ」
「そして本人もまっさかさまの転落人生ってやつでヤンスね」
「てめえらは、人をチンピラか殺し屋みてえになぁ……」
にらみつけたカーレルが、腕の一振りできれいに小人二人の頭をどつき倒した。体重が軽いため揃ってあっさり椅子から転がり落ちた小人たちは、口々にカーレルを罵りながら、椅子の上に這い戻ってくる。
その騒々しいというべきか賑やかというべきかという様子を眺めながら、今さらながらエミルは、周囲にいる人々がこの「小人」達にまったく奇異な目を向けていないことに気付いた。
「ああ。こいつら、この界隈を庭にしてっからな」
エミルの視線の動きからその思惑を察したのか、カーレルがハムとチーズと野菜を挟んだフォカッチャに手を伸ばしながら言った。
「こいつらのことは、別に気にしなくていいぜ。そのへんにいる分には、まあちょっとウザい点を除けば無害だし。実体があるようでないようなもんだから、天地無用で多少乱暴に扱ってもそうそう壊れねーし。本来ならこうやって、わざわざメシを食う必要もない連中だしな。ある意味便利なんだぜ」
「なんだか全然嬉しくない紹介のされ方でヤンスよぅ」
脱力したように、小人二人が小さな両肩を落とした。
そこであらためて、エミルはこの二人の不思議な小人達を紹介された。エミルの見たところ、まったく同じ外見で見分けもつかないが、「ヤンス」としゃべる方が兄のサンデー、「ずら」としゃべる方が弟のマンデーというのだという。
「日曜日と月曜日?」
「おう。こいつらを召喚しちまったとき、さすがの俺も多少パニクっちまってさ。サンデ~マンデ~チューズデ~って、あの歌が頭ン中ぐるぐる回ってたんだ」
「回ってたんだ、って、そんな理由で……」
エミルはなんだか脱力した。随分となげやりな名前もあったものだ。
「同情してくれるんでヤンスか? エミルぼっちゃんは優しいんでヤンスねぇ」
「この鬼とも悪魔ともみまごう人でなしとは大違いずら。ああっ、ぼっちゃんの後ろに神々しいばかりの後光が見えるずら」
同情しているエミルが分かったのか、サンデーとマンデーはなついた子犬のように、大きな瞳を輝かせながらエミルに擦り寄っていった。
「通りすがりの相手になつくな、このバカども」
そこをガツッと情け容赦なくカーレルの拳が小人たちを見舞い、哀れな小人達は、勢いでべたっとテーブルに張り付いた。
通りすがり、の一言に、エミルは複雑な表情で、早々にフォカッチャを平らげて次はもしゃもしゃと焼肉を頬張っているカーレルを見た。
エミルは揃えたひざの上に手を置き、カーレルの姿を正面に見た。
「お師匠様。弟子入りの話、やっぱり駄目ですか」
「ダメ」
「どうしても?」
「くどい」
「そんな、お師匠様ぁ」
「うぜえ」
「まさか一子相伝とか」
「黙れ」
あまりにニベもないカーレルの返答に、エミルはたまらず嘆いた。
「そんな情け容赦なく! 会話が続かないじゃないですか!」
「じゃかぁしい! だから弟子は却下なの! 駄目なものは駄目!」
だんっとテーブルを叩かれ、エミルは言葉に詰まる。
カーレルの表情には、心底エミルを邪険にする色があった。それをはっきりと見せ付けられ、エミルはさすがにこれは押し切れないと理解したが、それ以上に傷ついた目をした。
「……だったら……せめて、どうして駄目なのか、理由を聞かせてください。ただやみくもに駄目だといわれても、納得ができませんから」
視線を落として呟くように言ったエミルに、サンデーとマンデーが心配そうな顔をし、責めるようにカーレルを見た。
カーレルは表情も変えなかった。
「どうせ弟子入りするなら、こんなモグリじゃない、まっとうな魔道士のとこにしろ」
「まっとうだのモグリだのなんて、そんなことは問題じゃありません。僕はあなたの弟子になりたいんです」
「俺にとっては問題なんだ」
表情は淡々と、しかし言葉は頑迷に言い張るカーレルに、エミルは深々とした溜め息をついた。この岩よりも鋼よりも頑固そうな男を翻意させることは、もはや自分には不可能だ、と理解せざるを得なかった。
「……すみません。ちょっと、外の空気を吸ってきます」
エミルは椅子を立ち上がり歩き出したが、考え事をしていたせいで、通りがかったウェイトレスに軽くぶつかってしまった。きゃっと小さな悲鳴と共に、ウェイトレスの手から山と積まれていた片付けものの食器が落ち、騒々しい音を立てて床に散らばった。
「あっ……す、すいませんっ」
慌ててエミルは謝罪し、屈み込んで食器を拾い集める。
落としても割れない材質を使っているそれらは、幸いどれも無事ではあった。ウェイトレスも一緒にしゃがみ込み、食器を拾いながら、からりと笑った。
「いいのよーありがとー。こっちこそごめんなさいねえ、混んでるもんだからさぁ。あ、いーのいーの。坊や、何か用事だったんでしょ」
「いえ、僕のせいですし……それに僕、お金に困って食堂でバイトをしていたことがあるから、こういうの持つのは慣れてるんです。これ、どこに運べばいいですか?」
と、食器を手に優しげな王子様スマイルで言ったエミルに、ウェイトレスは「じゃ、お言葉に甘えちゃおうかなぁ」と、嬉しそうに言った。
エミルは教えられた通りに、奥の方にある厨房まで食器を下げにゆく。が、それだけにはとどまらなかった。客入り盛況の厨房はてんやわんやで、エミルは奥に居たコックに姿形を確認される間もなく、あれよあれよという間にどかどかと出来上がった料理の皿を預けられてしまったのである。
「……何やってんだか」
そのままなんとなく店の手伝いを始めてしまったエミルの様子を眺めながら、カーレルは呆れた呟きを発した。
人がいいというのか、要領が悪いだけなのか。
しかしエミルは「食堂でバイトをしていた」というのは嘘ではないらしく、手際そのものはてきぱきと手伝いをこなしていた。ごく短時間のうちにテーブルの配置とナンバーを覚え、受けた注文をきっちり記憶し、ウェイターとして立派に立ち働いている。
そればかりではなく、天性のものだろう物腰と笑顔のやわらかさに、彼が料理を運んでいったテーブルの客たちは、老若男女問わず空気をなごませているようだ。
頬杖をついてそれを眺めていたカーレルが、そのときフとまばたいた。そして顎に手を当てて、何やら「ふむ」と思案に暮れ始める。
その様子に、ぼそっと小人達が呟いた。
「さてはご主人。また何かロクでもないことを思いついたでヤンスね?」
「このご主人が何か思いついて、ロクでもあったことが、過去に一度でもあったずらか?」
「むう……我が弟ながらアッパレなツッコミ」
などと地霊の兄弟がぼそぼそと語り合っているそばで、カーレルは何かしきりに、うんうんと頷きながら、一人思考をめぐらせていた。