無情も嵐も踏み越えて (2)

 エミルはまさに針のむしろに座る心地で、ギシギシという軋みを発する粗末な木製の椅子に腰を下ろしていた。
「いったいどうしてくれんだよ、ええ?」
 借りてきた猫のように身を小さくしてうつむいている少年の前には、古ぼけたテーブルを挟み、同じく粗末な椅子に必要以上に仰々しくふんぞり返ったカーレルがいる。ここは彼がほぼ無期限で自宅がわりに借用している、安宿の一室だった。
「おまえのせいで俺は貴重な最後の食料を失うわ、騒乱罪及び公共器物損壊罪の嫌疑をかけられてブタ箱にぶち込まれるわ、街中の人間から『極貧に堪えかねてとうとう気が違ったらしい』なんてあらぬ陰口を叩かれるわ。散々だぜ、散々。いったいこの落とし前をどうつけてくれるってんだよ、えぇ?」
 反り返って高々と脚を組み、頭の後ろでかったるそうに手を絡み合わせて完全に据わり切った目つきでエミルを見下ろすその様は、真実はどうあれどう見ても「いたいけで善良な少年を恫喝するチンピラ」そのものであった。
 カーレルがこの魔道士見習いの少年にいきなり街角で襲われてから、すでに一昼夜が経過していた。その間何をしていたのかというと、語った通り、ずっと街の保安組織の留置場に放り込まれていたのである。
 あの後カーレルは、駆けつけた保安官達に姿を見られるなり、
「また貴様か! いいや何も言うな、おまえがやったんだ、おまえだろう、そうに違いない!」
 と、現場から強引にしょっぴかれてしまった。
 まったくもって横暴極まりない話ではあるが、常日頃から「やたらにガラが悪い上に得体の知れないモグリの魔道士」と、胡散くさい目で見られていたのが災いした。
 何より、傍に傷だらけで倒れているいかにも優しげな金髪の美少年こそが「真犯人」だとは、まさか誰も思いもしなかったのである。
 カーレルは留置場でシラを切り通していたが、そこに意識を取り戻して事態を把握したエミル少年が青い顔をして訪れ、事情の一切を説明して釈放を要求した。
 それを檻の中で知ったカーレルは、いきなり牢を破って出てくると、保安官達全員に一時の記憶を奪う忘却暗示をかけて、エミルを引っ張ってさっさと自宅(といってもこの宿屋)に戻ってしまったのだ。
 彼の唐突な行動についていきかねながらも、エミルはとにかく黙って、彼のすることに従った。
 カーレルが誤解され留置場に放り込まれた原因も、街角を半壊させてしまったのもエミルであり、何をどう言われようと仕方がない、と腹を括っていたのである。
「……ごめんなさい……」
 やがてうつむいた少年は、見るからにしょぼくれた様子で、かぼそい声を漏らした。
 と、覚悟を決めたように顔を上げると、やおら立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「本当に、本当にすみませんでした! 魔法の制御もろくにできないくせに、本当に僕は未熟者の大馬鹿者でした。自分が情けないです。まさかあんなことになるなんて……」
 明るく澄んだエメラルドグリーンの瞳を涙ぐませ、心底うちのめされたように肩を震わせている少年に、カーレルが溜め息をついた。
「まったくだ。このダァホが」
「本当にすみません……」
「俺に襲い掛かったのはまだしも、あんな街中であんな厄介な魔法なんか使うんじゃねえよ。制御できるできないの問題だ。おまえは見たところ、まだ未熟だが確かに随分才能はありそうだ。けどな、魔法のなんたるかがまるで分かっちゃいない奴に、そんなもんは宝の持ち腐れだ。魔道士云々以前に、人間として出直して来い」
 あまりに容赦がないといえばない言葉の数々に、うっ、とエミルは再び喉をつまらせ、ぼたぼたと涙を落とした。
 カーレルはそれを見て、辟易したようにひらひらと手を振った。
「あー、泣くんじゃねーよ鬱陶しい。まるで俺が泣かしたみたいじゃねえか。もういいから帰れよ。ガキの悪戯だと思って、今回だけは大目に見てやっからさ」
「……僕は、どうしたらいいんでしょうか」
「あん? だから帰れって」
「僕は、どうしたらいいんでしょうか?」
 涙に濡れた瞳のまま、エミルはずいと身を乗り出し、カーレルの顔をひたむきに見つめた。思わずカーレルは、そのただならぬ目力に顔をのけぞらせた。
「ど、どうしたらって言われてもな」
「お師匠様。僕は、魔道士としてやってはならないことをしてしまいました。魔法は恐ろしい凶器です。間違っても半人前の身分で、制御もできない魔法を振るったりするべきじゃありませんでした。振るった力じゃない、それが分からなかった心のほうが恐ろしいんです」
「おうおう、分かってきたみたいじゃねーか……っておい! 誰が『お師匠様』だ!?」
 うんうん、と頷いていたカーレルは、いきなりそう呼ばれたことに気付いて目を剥いた。
 エミルは身をひるがえして椅子から離れると、カーレルの前まで回り込み、そこに両膝をついて、がばっと床に額をつけた。
「お。おい。なんの真似だよ」
 あまりに真剣な様子の少年に、カーレルはたじろいで椅子から腰を浮かせる。
 エミルは床に膝をついたまま、エメラルドグリーンの瞳を真摯に燃え立たせた。
「お師匠様! どうかそう呼ばせてください! 僕は本当に、どうしようもないくらい愚かで浅はかで未熟者でした。お師匠様の言う通り、心を入れ替えて、人間として一から出直します。ですからどうか、あなたの側で学ばせてください。どうか弟子にしてください!!」
「じっ……じょーだんじゃねーやっ!!」
 仰天したカーレルは、ビシイッとエミルに向かって人差し指を突きつけた。
「弟子にしろだとう? おまえ、さんざっぱら人に迷惑かけといて、よくもまあいけしゃあしゃあとそんなことが言えるな! いいか、言っておくが俺は心が狭いんだ! ぶん殴って身ぐるみ剥いで蹴り出したいところを、鉄壁の自制心でなんとか我慢してやってんだ! そうされたくなかったら、馬鹿なこと言ってねーでさっさと出ていけっ!」
「いやです! 僕は今、初めて師匠と呼びたい人に出会ったんです。たとえ蹴り出されたって諦めません!」
「おまえなあ!!」
 カーレルがエミルの胸元をひっ掴んで立ち上がらせたとき、その視界の隅を、ちょこちょこと何かが横切った。
 そこに見えたのは、とんがった赤い三角帽子がふたつ。高さにして、エミルの膝丈にやっと届くかどうか。
「あれ……?」
 縦列に並んで歩いている「それ」に、エミルは今すぐ殴られてもおかしくない状況も忘れて、目を丸くした。
 歩いていたのは、揃いの赤い大きな三角帽、やけに馬鹿でかい赤い靴を履いた、まるで絵本に出てくる「小人」と呼ばれる存在をそのまま切り出してきたような姿のものたちが二人。しかも、姿形も背格好もまるっと一緒で、一見まったく見分けがつかない。
 幼い子供のようにも見える小人たちは、「人外のもの」がしばしば持っている顕著な特徴である、普通の人間の倍ほども長く尖った耳をぴこりと動かし、エミルとカーレルの傍らに立ち止まった。
 エミルはぽかんと口を開いた。
「……なんか、いますけど?」
「気にするな。ゴミみたいなもんだ」
 エミルの胸元を掴んだまま、あっさりとカーレルは答えた。その言葉に反応したのは、ゴミ扱いされた二人の小人の方だった。
「……せめて、空気か背景みたいなもんだと言ってくれる方が、まだ傷つかないでヤンスね」
「そうずらね」
「いたいけな子供の首を締め上げてるオノレの方がどれだけ外道に見えるのかとゆーのが、アワレも分かってないんでヤンスよ」
「そうずらねぇ」
「てめえらな……」
 エミルの胸元を締め上げた格好のまま、カーレルは空気が凍りつくほど不穏な眼差しを二人の小人に向けた。
 そのやりとりを見守っていたエミルが、突然我に返ると、「えええぇっ!?」とカーレルを突き飛ばし、よろめいた拍子に自分の足につまずいて、騒々しい音を道連れにテーブルに突っ込んだ。
 エミルは椅子まで巻き込んで転がったものの、痛みすら忘れたように即座に跳ね起きて、これ以上は無理だというほど目を丸くした。
「しゃべった! こういうものと言葉のやりとりが出来るなんて、初めてです! お師匠様、なんなんですかこの人達は!?」
「だから師匠じゃねーっての!」
 床に座り込んだままのエミルにカーレルは言いざまに踵を食らわし、倒れ伏した少年には見向きもせずに、二人の小人にずかずかと近づいていった。
 むんず、と一人の首根っこを、猫でも持ち運ぶように掴んで持ち上げる。
「ああっ! なんて無造作な持ち方をするでヤンスか! 大丈夫でヤンスか、マンデー!」
「ひいいぃっ、サンデー! わてはもう駄目かもしれないずら~」
「やッかましい、煮て食うぞ!」
 持ち上げたほうがじたばたと暴れ、足元に残っている方が憤然と抗議するのを、まさに噛み付くようにカーレルは黙らせた。
 カーレルは一人を猫掴みにしたままぶらんと顔の前にぶら下げ、片手は腰に当てた姿勢で、険悪に目を細める。
「おい、サンデーマンデー。最近思うんだが、おまえらちょっと、ここンとこ態度がでかくねえか? 呼んでもねぇのに出てくるし、洗い物ひとつできねえくせに部屋が汚いだの手入れが悪いだの、あげくに身持ちも物持ちも悪いだの言いやがるし」
「む。召喚に失敗してわてらをアワレな時空の迷子にしておいて、よくもそんなことが言えたもんでヤンスよ」
「それはしょうがねえだろ、今さら! あんましすぎたコト言ってっと簀巻きにしてドブに流すぞ!」
「おおぉお恐ろしいずら~。サンデーやめるずらよ、こんな道理も情けも知らない鬼畜生に人の心を求めてみても徒労ずら──ぐえっ」
「きゃあぁッ」
 途中から小人達の声が奇妙な呻きと悲鳴に変わったのは、カーレルがぱっと手を離し、落下した小人と足元にいた小人もろとも、ショートブーツのかかとで踏み潰したからである。
 怒筋を浮かべてぐりぐりと小人達を踏みつけているカーレルに、ようやく起き上がったエミルが、少々ピントのズレた目を向けた。
「召喚……? 今、召喚って言いましたか?」
 ギッ、と、カーレルが小人達を踏みつけたまま振り返った。
「こいつらは地霊、かわいい言い方すりゃ地の妖精なんだよ。俺が昔、召喚に失敗して間違って顕現させちまったんだ」
「じゃあ、お師匠様は召喚術まで使えるんですね!? すごいや!」
 たちまち焦点の戻った瞳を輝かせたエミルに、カーレルは嫌そうな顔をした。
「あ? てめえが何言ってやがる。……あー、ったく、もうそんなんどうでもいい。おまえもいい加減、俺を師匠って呼ぶな!」
「そんなあ。お師匠様、僕は本気だし、真剣なんです。どうしたら分かってもらえるんですか?」
 懲りずに近づいていったエミルに、カーレルは癇癪を起こした子供のように、だしんっと床板を踏み鳴らした。
「どうしたらもこうしたらもあるか! ああくそっ、どいつもこいつもっ……」
 即座に階下から「うるせぇぞ!」と罵声が上がってきたが、カーレルは完全に無視して声を張り上げようとし、──へなへなと腰が砕けたように座り込んだ。
「は、ハラが減った……くそう、おまえがあんな街中で余計なことしやがるから。結局あれからなんも食ってねえし、力が出やしねえ……うっ、気持ちまで悪くなってきた……」
 カーレルの胃袋が、ぐきゅるるると派手な音を奏でた。空腹のところを、立て続けに怒鳴ったり暴れたりしたのがよくなかったのだろうか。
 すっかり床にへばりついてしまった彼に、エミルが瞳をきょとんとまたたかせた。
「あの……お師匠様」
 そして様子をうかがうように、エミルはカーレルの顔を覗きこんで、多少控えめに提案したのだった。
「もしよかったら、お食事にでもいきませんか? 僕、それくらいなら出せますから。お詫びもかねて」

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