無情も嵐も踏み越えて (1)

「あなたが、有名な凄腕の黒魔道士《魔剣グラム》さん、ですか?」
 小春日和というにまさにふさわしい穏やかな晴天の下、小鳥のさえずりものどかな昼下がり。
 なけなしの金銭をはたいて、行きつけのパン屋「クィーンメリー」から食料を調達してきたその帰り道。突然カーレルは、そう声をかけられた。
「あン?」
 振り向いたその目許は、やけにやさぐれている。歳の頃は、見たところ二十二、三ほど。かなり上背の高いその姿は、ごくありきたりな街人の装い。骨格がしっかりしているわりに肉が薄いのか、少々痩せぎすな印象である。
 伸ばしている、というよりも「伸びてしまった」といった感じのやや長めの頭髪は、遠目にもよく目立つ赤毛で、いかにも適当に首の後ろでくくられていた。
 ともあれ。表情を決めかねた顔で立っているカーレルに、彼を振り返らせた声の主は、続けて声を発した。
「うわぁ、随分背が高いんですねえ。それに噂通り、全然魔道士には見えないや。やっぱり、モグリの魔道士だからですか? 魔道士っていうより『場末のヤクザかやさぐれた用心棒』って感じだとは聞いていましたけど。ほんとにその通りだなあ」
 人々がのんびりと行き交う石畳の歩道で、随分と失礼なことをまくし立てたのは、せいぜいカーレルの胸元までしか上背のない、頭からすっぽりとフードつきの外套をまとった少年だった。
 パンやリンゴやジャムの入った紙袋を抱えたまま、カーレルは髪と同じ色の瞳で、憮然かつまじまじと、その少年を見下ろした。
 見たところ十五歳は越えているだろうから変声期は経ているのだろうが、少年の声はなお柔らかく、高くも低くもない。晴れた青空から落ちてくる陽光が石畳にぶつかって跳ね返り、プラチナ色の少年の前髪に光が踊るように反射している。
 肌は白くすべらかで、真っ直ぐにカーレルを見上げる澄んだ双眸は、明るいエメラルドグリーン。三日月形の眉といい、穏やかそうな目許といい、やわらかそうな頬の線といい、全体に鋭角的なもの一切が欠落している。優しげな印象の、驚くほどの「美少年」だった。
「……ええと、どちらさん?」
 硬い髪質なため、あちこちが立っている頭をボリボリと掻きながら、カーレルは問いを発した。なんだこいつは、というのが率直なカーレルの感想だった。
 自分が「モグリの魔道士」であることは有名な事実なので、突然そう声をかけられても驚くには値しない。だがこの、カーレルと並ぶと「浪人と王子様」然とした金髪の美少年が突然街角で声をかけてくるような、その心当たりがまったくなかった。
「仕事」の依頼だろうかとも思ったが、そのわりには切羽詰った雰囲気がなさすぎる。カーレルのような、モグリかつ評判が良いとは言い難い魔道士に、それでも依頼を持ちかけてくる者は、まず「やむにやまれず、嫌々ながら」であって、それに比例した緊迫感を帯びてやって来る、と相場が決まっているのだ。
「ああ、すみません突然。僕はエミルっていいます」
 王子様のような少年は、にっこりと天使のように穢れない笑顔を見せて名乗った。
「まだ修行中の、見習い魔道士です。このシャザレイムの城下町に、《魔剣グラム》の通称を持つ高名な黒魔道士さんがいらっしゃると聞いて、育った旅芸人の一座を抜けてはるばるやってきました」
「はぁ。って、俺に依頼か? だったらまず前金で半額、キッチリ払ってくれよ。なにしろぜんっぜんカネがねーんだ」
 カーレルは言いながら、紙袋から顔をのぞかせていたリンゴを取り出し、ごしごしと上着でこすって食いついた。先日から何も食べておらず、とにかく腹が減っていたのである。
 威厳のかけらもないその様子を見て、エミルと名乗った少年は面食らったようだった。
「……あの、失礼ですが。本当にあの、凄腕にして無敵無敗、空前絶後の天才的大黒魔道士として名高い、あの《魔剣グラム》さん……なんですよね?」
「ンなケッタイな通り名つけたのは俺じゃねえからなあ。文句があるなら、イズファーンの野郎に言ってくれよ」
 イズファーン、とは、このシャザレイム城下町を中心とした付近一帯を治める大領主の名前である。
 そんな相手を事も無げに「野郎」呼ばわりしたカーレルに、エミルは目をぱちくりさせた。
「……あ、いえ。別に文句があるとかじゃないんですが。イメージしていたのと、なんだかあまりに違っていたので……」
「悪かったな。まぁ確かに、ハイこれが証拠ですってなもんなんざ、それこそ魔法以外にねえけどさ」
「あ。じゃあ、魔法を見せてくださいますか?」
 皮肉のつもりで言った言葉に、少年はバカ正直にも笑顔で要求してきた。
「は?」とカーレルはエミルを見返し、がしゃがしゃと口の中にあったリンゴを噛み砕いて飲み込むと、刃物のようにすがめた目で、あらためて無邪気なばかりの少年を見下ろした。
「阿呆、見世物にするようなもんじゃねえや。おい、おまえいったい何なんだ。依頼人なんかじゃねえよな?」
「うーん。普通の依頼人とは違うと思いますけれど……でも、依頼は依頼なのかなあ」
 凶悪なカーレルの目つきにたじろぐこともなく、微妙なところですね、とマイペースにエミルは言う。そしておもむろに、それまできっちり前を合わせていた外套を両肩にはねあげた。
 その下は少々くたびれたごく普通の旅装だったが、てっぺんに飛竜を模した飾りの付いた一本の杖が、少年の白い手には握られていた。魔道士達が好んで用いる、魔力を増幅させる効果を持った「魔法文字ルーン」を刻んだ魔道具だった。
「僕の依頼は、僕の腕試しの相手になっていただくことです」
「あ?」
 事態がよく飲み込めていないカーレルに、エミルは無害な笑顔のままで、手にした魔道士の杖をかざした。
「やっぱり魔法は実践が大事なんですが、いかんせん相手がいないことには、自分の力量を把握しづらいんですよね。その点、名高い《魔剣グラム》さんなら、まあ死んだりはしないでしょうし。腕試しの相手にはうってつけです。というわけで、いざ尋常に、勝負!!」
「ちょっ……」
 あまりに唐突な展開に、カーレルは狼狽した声を上げた。
 が、カーレルの動揺にはおかまいなしに、エミルはその白く細い指先で、魔法を発動させる触媒となる「魔法印エレメント」と呼ばれる紋様を、空中に次々に描き出してゆく。
 それと共に、唇から呟くような呪文スペルが紡ぎ出され、ぶわっ、と少年を中心に、風が吹く感触にも似た魔力放出の波紋が生まれた。
 何事だ、と道行く人々が異変に気付いて怪訝な顔をし、ただならぬその場の様子にぎょっと硬直する。
 それらの様子を横目に見ながら、カーレルは声を張り上げた。
「ちょっと待ておい! こんな街のど真ん中で何しやがるんだこのッ──」
 その語尾に重なるようにして、エミルの柔らかな声が魔法の発動を促す呪文の詠唱を完了し──規模は小さいながらも破壊力を秘めた空気の弾丸が、続けてカーレルに向かって撃ち出された!
 しかしそれは、さながら「パワーはあるがコントロールがなっちゃいない」ピッチャーの暴投のごとく、あえてかわすまでもなくカーレルを逸れ、風を切る轟音を残して、どこぞとも知れぬ方向にかっ飛んでいった。
 カーレルが胸を撫で下ろしたのも束の間、それは若干離れた広場に建っていた、大きな時計台を直撃した。あたりに爆音が響き渡り、変事に驚いたスズメや鳩達が、ばさばさっと青空に舞い上がった。
 それに続いて、さらに付近の建物や鐘突き堂の尖塔などが、次々に放たれる空気の弾丸の餌食になってゆく。
「……う、うわあ!?」
「ひいっ! に、逃げろ! なんか知らんが魔道士が暴れてるぞ!!」
 何が始まったのか分からずきょとんとしていた通行人達が、事態を把握すると、わっと悲鳴を上げて我先に逃げ出し始めた。
 空気の弾丸はあたり構わず石畳を穿ち、ショッピングモールの色鮮やかなアーケードをぶち抜いて、そんな彼らに悲鳴を上げさせる。色とりどりの花が揺れている手入れの行き届いた花壇が、たちまち人々に踏み荒らされた。
「なんてことしやがる、てめ──ぉわっ!!」
 間近に落ちてきた衝撃に、カーレルは足をすくわれた格好で石畳に転倒した。転がったままあたりの惨状を見て、思わず呻いた。
「こんのガキャぁ……」
 空気の弾丸は際限なく生まれ続け、この通りだけではなく、建物の上を飛び越して離れた街角をも襲っていた。
 思わず握り拳になって立ち上がり、こんな街中で無軌道な魔法を発動させた凶悪少年を振り返ったカーレルは、そこであんぐりと口を開けた。
「……てめえがそこでやられてんじゃねーよッ!!」
 そう。あろうことかそこでは、こんな魔法を使った少年自身が、自分の放った魔法の一撃に跳ね飛ばされたらしく、石畳の上にひっくり返っていたのである。
 カーレルは少年めがけて走ると、頭を飛ばす勢いで突っ込んできた一撃をかわしながら、その脇にすべりこんだ。
 ぐったりしているエミルを抱え起こし、額のコブを除いては特に外傷はないことを確認する。どうやら直撃を食らったわけではなく、避けようとして転んで頭を打って気絶したらしい。
「おい、てめえ起きろ! どーすんだよこの惨状を!」
 カーレルは胸ぐらを掴んでエミルの頬をひっぱたいたが、少年はやけに呑気な顔で目を回したままである。
 使用者が気絶したことで、完全な暴走状態に入った魔法の効果範囲は、すでにこのあたりの一区画全体に及んでいた。
 カーレルはぎりぎりと歯軋りして、エミルを放り出した。
 完全に混乱し道筋を失った魔力の波動が、はっきりと感じられる。この暴走状態を止めるには、魔力発動の源となっている存在──つまりエミルをあの世に送るか、筋道を失った魔力の波動を一点に収拾し、より強い魔力によって「相殺」するしかない。
「……ヤッちまえば簡単なんだが……」
 あながち冗談でもない殺気のこもった眼差しを、カーレルは傍らにひっくり返っている少年にそそいだ。が、諦めたように溜め息をつき、なんで俺が、とぼやきながら立ち上がった。
 立ち上がったままの楽な体勢で、目を伏せて意識を切り替える。
 集中に伴い、彼を中心にした一部の空間だけが、次元が切り替わるようにフッと気配を変えた。
 先ほどエミルが見せたような、風が吹き出すにも似た魔力の放出はない。そのかわり、体内に閉じ込められたまま練り上げられ、より強く純粋に研磨されてゆくような、爆発の予感を秘めた魔力の高まりがある。
 カーレルの唇が低く呪文を紡ぎ、その手が素早く、空中にいくつかの《魔法印エレメント)》》》を描いた。何かを呼び込もうとするように上空を見上げたその全身から、高められ膨張しきった魔力が爆発した。
 猛烈な勢いで街路樹や建物を突き抜けて広がったそれは、魔力を持たない者なら単に突風が走り抜けたように感じ、魔力を多少なりとも持つ者なら、「色彩の判別が不可能な、あえて言えば七色を帯びた凶暴なほどの光芒が駆け抜けていった」と感じただろう。
 暴走していた魔力が、さながら巨人の掌で鷲掴みにされるように、七色の光芒に飲み込まれる。そして網の目にとらわれるように次々に引き寄せられ、──嘘のように掻き消えた。
 しん、と、まさに嵐の過ぎた後といった様子で静まり返った通りの真ん中で、カーレルは満足げに笑った。己の放った魔力の網が、暴走していた魔力の波動を完全に消滅させた手ごたえがあった。
 そして何気なくあたりを見回し、愕然と目を見開いた。よろり、とその身体がかしぎ、がっくりと両膝が石畳に落ちる。
「お、俺のメシが……貴重な食料がっ……」
 暴走した魔法に、いつの間にか彼の抱えていた紙袋は中身ごとどこかへ吹き飛ばされ、影も形もなくなっていた。
 もはや言葉も出ず、こみあげる憤怒に身を震わせたまま、やけに平和な顔で気絶したままの少年に、カーレルは今度こそ殺意のこもった目を向けた。

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