乙女の祈りは罪深く (1)

 嵐が訪れていた……。
 吹きすさぶ強風と、叩きつけるような豪雨は、さながら滅びゆく天の断末魔のように地軸を揺るがしている。矮小な人間達が地べたに這いつくばるように築いた街の灯りも、強い風と雨の中にかき消されんばかりに、弱々しく揺らいでいた。
「……なんつうアオリはどうだ、今夜の嵐には?」
 強風と豪雨にガタピシと建物のあちこちを軋ませている、自宅代わりの安宿「こんな宿もあるさ亭」の一階食堂にて。手持ちのカードに目を走らせながら、カーレルは呟いた。
 大抵こういった宿屋の食堂は、宿泊客ばかりではなく外来客にも開かれているが、朝から続いているこの嵐のせいで、今夜の客足はさっぱりだ。
 今日は商売にならないと判断したのだろう、食堂及び宿屋の主人であるトーマス・クライツも、宿屋の親父というより格闘家レスラーと名乗った方が頷けそうなガタイにエプロンをつけたまま、カーレルと差し向かいに、どっかりと丸テーブルを挟んで腰を落ち着けていた。
「ふむ。陳腐な言い回しだが、使い古された表現ほど、人ってやつは安心して楽しめるからな。ベストセラーが生まれる根幹的理由がここにあるわけだ」
 パイプをくわえたままで器用にトーマスはしゃべり、カーレルと同じくカードに目を走らせる。その手が扇状に広げたカードから二枚を抜いてテーブルに伏せ、かわりに二枚をテーブルの中央に置かれたカードの山から取る。カーレルも三枚、同じように交換する。
「ふーん。じゃ俺も、今度副業でベストセラー作家目指そうかなあ」
「やめとけ。おまえ、今までいくつ副業といって開業しては挫折してきたんだ」
「占い師が三度、カウンセラーが二回に、鍼師と鍵師が一回ずつ」
 少し離れたテーブルで、聞くともなくそのやりとりを聞いていたエミルが、読んでいた本から目を上げた。傍らに座っていた地霊の兄弟に囁く。
「お師匠様って、そんなに副業やってたんですか……?」
「そうずらよ。始めては失敗、始めては挫折で、何一つモノになっちゃいないずらね」
「そもそも魔法以外に何一つ取り得がないんでヤンスから、魔道士以外の仕事なんて勤まるわけがないんでヤンスよ。それどころか……」
「うんうん」
 小声になった地霊の兄弟に、エミルも興味津々で耳を寄せる。
「ご主人に占われた相談者は大半が絶望して帰っていったし、人生相談をした人は号泣するか怒り狂うかだったし、鍼師をすればツボを間違えて全身ケイレンさせるし、鍵師に至っては魔法で鍵を破壊して終わりってコトばっかりだったずら」
「うっわ。悪魔だ……」
 思わず呻いたエミルの後頭部に、空を切り裂いて飛んできた来客用スリッパがモロに命中した。
 二度呻いてテーブルに突っ伏したエミルに、淡々としたカーレルの声が届いた。
「悪い。手がすべった」
「──どうしたら手がすべって僕の頭にスリッパが命中するんですか!」
 頭を押さえて憤然と振り返ったエミルに、カーレルが冷ややかな目を向けた。テーブルに置かれていた花瓶をおもむろに取り上げつつ、立ち上がる。
「こうしたら、だ」
「わっ……わ、わかりました! ごめんなさい!! 僕が悪かったです!!」
 だから投げないでぇ、と瞬時に青くなって懇願するエミルに、カーレルはふんと鼻を鳴らして花瓶を元通りに置き直した。
「師匠に対する敬いの心が足りない」
「って、敬われるようなコト、なんにもしてないじゃないでヤンスか……」
 ぼそり、と呟いたサンデーは、前触れなく宙を飛んで襲い掛かってきた椅子に、悲鳴を上げることもできず「むぎゅうっ」と押しつぶされた。無論、カーレルから見てサンデーとの対角線上にいたエミルと、サンデーの隣にいたマンデーも、それに巻き込まれている。
「いーい度胸だ、てめーら! この俺様を怒らせたらどうなるか、骨の髄までじっくりたっぷり煮込むように教えてやらぁ!」
 ばしん、と手にしていたカードをテーブルに叩き付け、やたらに仰々しい仕種で立ち上がったカーレルに、ぼそりとトーマス親父が呟いた。
「どさくさにまぎれて勝負を放棄したな……なんだ、やっぱりスカか」
 俺はストレートだ、と、トーマスが手持ちのカードをテーブルに広げ、低く渋い声で笑った。
「ここ一か月分の宿屋のツケ、これで倍額だぞ。約束通り、三日後までになんとかしろよ。ふっふっふ、昔は王都エルドリアのカジノでならしたこの天才ギャンブラー、レッサーパンダのトーマスにカードで勝とうとは。百年早いな、若造よ」
「くっ……!」
 カーレルが悔しげに呻き、テーブルの上に広げられたカードを見下ろした。
 そのやり取りを、床に転がり落ちた格好のまま、しらけた顔でエミルと小人達は眺めていた。
「……結局わてらは、ツケのチャラをかけた勝負に負けた腹いせの犠牲になったんでヤンスね」
「いいけど、なんでレッサーパンダなんだろ……」
「はて……?」
 よいしょ、と大儀そうにそれぞれが立ち上がり、転がった椅子を起き上がらせた時だった。
 ──どん、どん、どん! ──
 その物音は、硬く閉ざされた宿屋の正面玄関、すなわちこの食堂から表通りに続く両開きの扉の向こうから聞こえていた。
 最初は誰もが空耳かと思ったのだが、執拗に叩かれ続ける扉に、そうではないとようやく気付く。
「誰だよ、こんな日に」
 やや不審そうに扉に近づいたカーレルが、錠を外して取っ手を引いた。吹きすさぶ突風に煽られ、打ち開きの扉は、バンッ! と叩き開けられるような勢いで全開になった。
「うわっ!」
 吹き込む突風と痛いほどの雨粒と共に、カーレルの腕の中に人影が転がり込んできた。
 咄嗟に支えたその人影はほっそりと軽く、頭からぐっしょり濡れて全身が冷え切っていた。金の蜂蜜色の睫毛に縁取られたつぶらな菫色の瞳が、すがるように、驚いているカーレルを見上げた。
「ああ……《魔剣グラム》様……どうか、お助け下さいませ……」
 やっとのようにそれだけ言うと、人影──人形のように可愛らしく整った顔立ちをした少女は、崩れるように気を失った。
「お、おい、あんた!?」
 閉ざされた少女の長い睫毛は、蒼白な頬の上に落ちたきり、ぴくりとも動かなかった。
 その横で、トーマスとエミルが、風と雨が吹き込みっぱなしになっていた扉を、全身で押すように閉め直した。
 気絶した少女を支えるカーレルの周りに、なんだなんだと、わらわらとその場にいた全員が寄ってくる。少女を見つめていたカーレルが、不意にくぐもった不気味な笑みを洩らした。
「ふ、ふふふ……これだ、これだよ……天を引き裂くような嵐の夜、ずぶ濡れで助けを求め転がり込んでくる意味ありげな美少女。こういういかにも胡散くさそうな展開こそ、モグリにして天才魔道士であるこの俺様には相応しいってもんだぜ……」
 何やら一つで悦に入っているカーレルに、トーマス以下その他全員は、不気味なものを見る以外の何者でもない視線をそそいだ。

ブックマークに追加