乙女の祈りは罪深く (2)

 ミシェリーナ・クレオティス。
 と、その蜂蜜色のふわりとした巻き毛と菫色の瞳を持った美少女は名乗った。
 雨風に打たれて冷え切ってしまっている彼女を、ひとまずリラが空いた部屋に誘導して着替えさせてから、あらためて食堂に連れてくる。
 まだ血の気の戻らない彼女に、リラがあたたかいココアの入ったマグカップを差し出すと、「ありがとうございます」と小さく微笑んでカップを受け取った。大きめのストールにくるまれ、爪の先まで綺麗に整えられた細く白い指でカップを包んで、ほっとしたような吐息をこぼしたその姿は、いかにも華奢で儚げだった。
 その様子を眺めながら、トーマスが顎鬚をさすりつつ言った。
「クレオティス……ミシェリーナ・クレオティス? こりゃたまげたな。あんた、このシャザレイムで随一と言われる豪商クレオティス家の一人娘さんか。すごい人が依頼に来たじゃないか、カーレル」
「ふむ」
 カーレルは曖昧な返事をし、じっと目の前の少女を見つめた。
「で、ミシェリーナ・クレオティス……ミシェリーナさん?」
「ミシェル、とお呼び下さいませ。別に貴族ではありませんし、皆そう呼びますので」
 徐々に身体の心からあたたまってきたのか、微笑しながら答えたミシェルの唇は、だいぶ血色を戻していた。
「分かった。じゃあミシェル。わざわざこんな嵐の夜に、危険も顧みずに俺のところに依頼に来たってことは、何か相当なワケありと見たんだが」
「…………」
「少し落ち着いたなら、話してみてくれないか。俺の力の及ぶことであれば、この最高の魔道士《魔剣グラム》が、全力をあげて君の悩みを排除しよう」
「おい、カーレル……」
 エミルと小人達がぞっとするほど優しい声で語りかけたカーレルに、トーマスが額を押さえて天井を仰いだ。
「ストライクゾーンがあんまり広すぎると、もはや犯罪だぞ」
「違うわっ!!」
 噛み付くようにカーレルはトーマスに言い返し、完全にひいているエミルと小人達をにらみつけた。
「おまえらは、俺をそんなふうにしか見てないのか? 実に嘆かわしいな! こんな嵐の夜に、たった一人でずぶ濡れになって、こんな女の子が助けを求めに来てくれたんだぞ。涙ぐましい話じゃないか! これを冷たく突き放せるような奴は、人間の屑だ!」
「いや、えっと……まあ、その通りなんですけど……」
 エミルが曖昧に返事をした。しかしこれが、たとえば可愛い少女ではなく男だったら、カーレルは絶対にこんな優しげな態度など取らないだろう。
「とにかくだ!」
 強引にカーレルは話を引き戻し、ミシェルに視線を向けた。
「依頼があるなら、悪いようにはしないから話してみてくれ。大丈夫だ、ここにいる連中は全員口が堅いし、俺の助手みたいなもんだから気にしないでいい」
 仕事の話になると、部外者であるトーマスは席を外していった。トーマスはランプに照らされたカウンターに入り、遠くで無言のままグラスを磨き始める。
「はい……」
 ミシェルはマグカップを華奢な両手で包んだまま、小さく頷いた。
 と、その大きな瞳が震え、はらはらと頬に涙の粒が落ちる。咄嗟にエミルが彼女のマグカップに手を伸ばすと、彼女の指から力が抜けて、あやういところでそれはエミルの手で支えられた。
「あ……ご、ごめんなさい」
 ミシェルは張り詰めていた糸が切れたように、白い手で顔を覆い、今にも消え入りそうな声で訴えた。
「わたくしの大事な御方を……アルフレッド様を、どうか、捜し出していただきたいのです……」

 つまり、人捜しの依頼なのだという。
「わたくしの大切な御方が、数日前から姿を消してしまったのです」
 時折思い詰めたように涙をこぼし、それを拭いながら、ミシェルは語った。
「わたくしとアルフレッド様は、もう何年も前から、街外れの某所にてひっそりと交際を続けてまいりました。ああ、といっても、やましい関係などではありません。アルフレッド様は、わたくしの先生なのです」
「先生?」
「はい。アルフレッド様は、とても博識で思慮深く、素晴らしい感性をお持ちの御方。ただ、わけあって身体を動かすことができません。なので、わたくしの方から足を運んでおりました」
「なるほど」
「アルフレッド様と語らいあう時間、それはわたくしにとって、心の潤う最も美しい時間……何にも代えがたい、かけがえのないひとときでございました。そのアルフレッド様が、突然何の前触れもなく、お姿を消してしまわれたのです」
「身体が動かないのに?」
 カーレルの問いかけに、はい、と頷いたミシェルの頬から、また真珠のような涙の粒がこぼれ落ちた。
 どうかその、行方知れずになってしまった「アルフレッド」なる人物を捜し出して欲しい。ただし、彼女の家の者には絶対に知られないよう内密に。見つけ出してくれれば、相応の礼はする。
 そう言った彼女が具体的に示した金額は、カーレルの生活費三ヵ月分を、優に凌いでいた。
 あまりに破格の額面に、カーレルが思わず生唾すら飲み込んで、二つ返事で依頼を引き受けたことは言うまでもない。

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