無情も嵐も踏み越えて (7) -完結-

 気持ちの良い朝の光が差し込む、宿屋の廊下にて。
「あら、もうレラ姉さんに会ったんですか? さすがですねえ」
 と、「こんな宿もあるさ亭」の店主トーマスの愛娘リラが、にこにこと笑いながら言った。
「先日から、こちらの魔道士ギルドに異動になったそうです。妹の私でさえまだ会えていないのに、もう、カーレルさんたら手が早いんですからぁ」
 掃除をしていたモップを手にしたまま、リラはやたらと楽しそうにきゃっきゃとはしゃいでいる。
「いや、そうじゃねえんだけど……まあいいや。あ、あのガキどっかで見かけなかったか?」
 訂正するのも面倒くさく、カーレルは伸びをしつつ尋ねた。
「あのガキ? エミルくんですか? 下の食堂にいましたけれど」
「そっか。あんがとよ」
 ひらりとリラに手を振って、カーレルは階下に向かって廊下を歩いてゆく。いかにもかったるそうに、大あくびをしながら。

「ええぇぇえッ!?」
 一階の食堂でつつましい朝食をとっていたエミルは、素っ頓狂な声を上げて数秒間かたまってしまった。
 正面の椅子に高々と脚を組んでふんぞり返ったカーレルが、うるせぇなあと露骨に顔をしかめているが、エミルにとってその驚きの声は、決して大げさなものではなかった。
「ほ……本当ですか、カーレルさん……僕に弟子入りを許してくださるっていうのは……?」
 今度は少し落ち着いて声を発したエミルに、カーレルはしかめっ面で、いかにも渋々というように頷いた。
「ああ。魔法の制御どころか感情のセーブもろくすっぽできない召喚士なんて、危なくて野放しにできねーからな。本意じゃねえが、仕方ない。おまえみたいな奴を見つけちまったのも、何かの縁と思って諦めるしかねえだろ」
 なんだか猛獣のような言われようは不本意だったが、それもエミルのこみあげる喜びに水を差すものではなかった。小躍りしたいほどの気分で、エミルは椅子を立ち上がり、深々とカーレルに向かって頭を下げた。
「嬉しいです、ありがとうございますお師匠様! 僕、少しでも早く一人前になれるように、一生懸命がんばります!」
「あー、やめろそーゆーの。暑苦しい」
 邪険にカーレルは掌を振ると、その掌をくるりと上に返して、エミルの前に突き出した。
「つーわけで、出すモン出しな」
「……え?」
 意味がまったく分からず、目をぱちくりさせるエミル。
 はー……と、傍らで様子を見守っていたマンデーが溜め息をついた。
「ご主人……それじゃあまるっきり、ただのカツアゲずら」
 カーレルは心外だったらしく、眉間にシワを寄せた。
「じゃなくてっ。月謝だよ、月謝! おまえ弟子入りって、まさか無料で俺様直々のありがたい教えにありつこうて気じゃねえだろな? モノを乞うときは、相応に感謝の気持ちをあらわすもんだろ?」
「…………え?」
 ほとんど愕然として、エミルは呟いた。月謝を払う、という発想は、確かに言われてみればもっともながら、まったくエミルの発想の中にはなかった。
 というか、世の中の大半の魔道士の弟子達がそうではないだろうか。読み書きソロバンを習うというのとはまったく次元が違うだけに……月謝、などという、味も素っ気もない俗世間的なつながりで、魔道士の師匠と弟子の関係が構成されるというのは、どうも何かが違うというか……もっと精神的な面でのつながりで構成されるべきである、というのは、はたして書物の読みすぎだったのだろうか……。
 ここにきて、いよいよ跡形もなく「魔道士」なる存在に対する神秘を秘めた幻想が崩されていくのを肌身で感じ、なんだかエミルの目が遠くなった。
 一方カーレルは、さくさくと話を進めている。
「入門料に関しては、ゆうべのメシ代でチャラにしておいてやる。で、俺も考えたんだがな。どーせおまえも宿無しだし、月謝を払えと言われてもそのままじゃ困窮するのは目に見えてるよな。ってことで、おまえ、働け。これがちょうど、ゆうべの食堂でバイトの募集をかけててな。見たところ、おまえの接客業に対する適正は抜群だから……」
「……ご主人、ゆうべ何かろくでもないことを考えてるとは思ったけども、そんなセコいことを考えてたんでヤンスね」
 脇から白い目でサンデーに見られ、ぎんっとカーレルがそれを見返した。
「言っとくが、ギルドの連中に襲われたのも、そこでエミルが召喚士だって確信したのも、なんだかんだで不可抗力だぞ」
「とかいって、計画犯罪的なニオイがするずらよ」
 すかさずマンデーとサンデーが頷きあった。
「あああっ、情けない! 鬼畜なだけじゃ飽き足らず、ついに身分はヒモでヤンスか。これで正真正銘、ただのチンピラでヤンスねえ」
「てめえらっ……」
 カーレルが怒りに拳を震わせ、立ち上がりざまに小人の兄弟を張り倒した。
「てめえの食い扶持くらい稼いでらぁ、馬鹿にするな!」
 床にころころと転がった小人達に怒鳴り、憤然とカーレルは表に続く扉へと向かう。扉を開きかけたところでエミルを振り返り、
「つーわけで、今夜から出勤! がんばれよ」
 ビッと人差し指を突きつけてから、その姿は屋外に消えていった。
 しばし遠い目のまま立ち尽くしていたエミルは、ガクンと膝を折ってテーブルに突っ伏した。
「……ぼ、僕……とんでもない人に弟子入りしちゃったんじゃないかって、今さらながらすごく不安がこみ上げてくるんだけど……」
「ま、気を落とさないようにずらよ」
 ぽん、とその肩を、床から這い上がってきた地霊の兄弟が叩いた。
「そうそう。明日には明日の風が吹くでヤンス」
「ううっ……」
 苦悩の呻きを上げるエミルに、リラが慰めなのか励ましなのか、身体と健康にやたら良さそうな野菜ジュースを、無言でテーブルに置いていった。
 その明るいオレンジ色を眺めながら、エミルは人生の道を踏み誤ったかもしれない予感を、目眩と共に噛み締めていた。

 

(了)

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