無情も嵐も踏み越えて (5)

 エミルとレラが叫ぶのと、ほぼ同時に。
 無数の火炎弾と、かまいたちに似た空気の刃が、空中や魔道士達のかざした掌から、カーレルに向かって連続で発射された。が、それは未だに効力を失っていなかった金色の光の壁によって、微動だにしなかったカーレルの正面ですべて遮られた。
 うっ、と魔道士達がたじろぐ。
「コトワリだかニワトリだか知らねーけどな」
 カーレルは手早く《魔法印エレメント》を結び、ごく短い呪文スペルを唱える。慌てて魔道士達もそれにならおうとしたが、印を切る間も与えず、カーレルは底意地の悪い笑みを浮かべた。
「人にケンカを売るときくらい、てめえの理屈で来いってんだ!」
 気合を込めた声と同時に、魔道士達が繰り出したものを数倍凌ぐ規模の空気の刃が巻き起こった。
 横一文字に襲い掛かったそれは、素早く身をひいていたレラ以外の魔道士達三人を同時に地面から引き剥がし、数メートル吹っ飛ばして、壁や石畳に衝突させた。魔道士達はそれぞれ呻き、苦痛の声とともに、あっさりとくずおれた。
魔法印エレメント》と《呪文スペル》によって魔法を構成する、という基本的な部分はカーレルも他の魔道士達と同様だったが、その威力と正確さと、何より魔法を編み上げるスピードの速さが段違いだった。
 そのスピードは、驚くほどシンプルな魔法の構成のせいでもある。力の弱い魔道士ほど、魔法の発動のためには複雑で難しい構成を必要とする。それがごくごくシンプルな構成ですむ、ということは、それだけカーレルの持つ魔力が莫大である、ということを示していた。
「すごい……」
 エミルの唇から、またそんな呟きが洩れていた。《魔剣グラム》と呼ばれる存在の、そのあざやかな魔法発動の瞬間に、エミルは今やすっかり状況も忘れて見とれてしまっていた。
「やっぱり噂通り、本当にすごいんだ……そのあたりの魔道士なんて、これじゃ束になってもかなわないや」
 すでに気楽な観客と化したエミルが思わず洩らした独り言に、サンデーが頷いた。
「人間としては問題ありありでヤンスが、魔法に関してだけは、間違いなくご主人は天才でヤンスよ」
 その評価をまさしく証明するように、カーレルは地面に倒れて呻いている隊長に歩み寄り、がしんッとその頭を踏みつけにした。
「おい。戻ったら、俺様の抹殺なんてどたわけたことを命令した奴に言っておけよ。いい歳した大人のやっかみはみっともないぜ、ってさ」
「くそッ……」
 カーレルに踏みつけられた男は、しかし気丈に憎悪の眼差しを突き上げた。
「なぜ貴様のような奴に、そのような強大な魔力が与えられているんだ……血の滲むような努力をして、ようやく俺はこの力を得たというのに……ッ!」
「ほぉう。やっと出たな、本音が」
 カーレルはにやぁっとやけに嬉しそうに笑うと、憎悪と屈辱に震えている隊長の肩口を、身を屈めてポンポンと叩いた。立ち上がり、路地の壁際に下がっていたレラを振り返る。
「おまえもなあ。仕事は選んだ方がいいぜ?」
「……こんなことをするつもりだったなんて、知らなかったのよ」
 錫杖を握り締め、レラは呟くように言った。
「この街に戻ってきたのは、三日前なの。ここまであなたとギルドの間がこじれているだなんて思わなかった」
「こじらせたのは」
「間違いなくご主人ずらね」
 反論しかけたカーレルに先んじて、マンデーがぼそっとツッコんだ。
 んだとコラ、とカーレルが小人をにらみ、レラが溜め息をついた。
「モグリなのはいいけれど、ギルドとはうまくやってちょうだいと、あれほど言っておいたのに……」
「あのなあ、俺にだって事情ってもんが──」
 カーレルが言いかけたそのとき、離れたところにうずくまっていた男が、苦痛に呻きながらも、渾身の力を込めた魔法を発動させた。
 カーレルがそれを予測できなかったのは、隊長──彼らにとっては仲間──がカーレルの足元に転がっている状態で、まさか他の魔道士が攻撃を放つとは思っていなかったからだろう。
 先ほど攻撃を防いだ光の壁の効力は、時間の経過と共に構成が解けてすでに失われていた。至近距離から放たれた巨大な火炎球に、カーレルは足元に転がっていた隊長もろとも、直撃を食らって巻き込まれた!
「げっ」と地霊の兄弟が奇妙な呻きを上げ、爆風と熱気に髪と上着を煽られたエミルとレラが、目を見開いて叫んだ。
「カーレル!」
「カーレルさん!!」
「ふ、ふはは……ははははははっ!! ざまを見ろ、外道が! 天誅だ! 消し炭になるがいいッ!!」
 火炎を放った男が、苦しげに胸を押さえながらも哄笑を上げるのを見て、エミルが顔色を変えた。
 穏和でおっとりした目許が一変し、激しい怒りがエメラルドの瞳に燃え上がる。
「貴様、外道はどっちだ……よくも……!」
 ばっとエミルが身体を開き、両手を使って空中に大きな《魔法印エレメント》を描いた。
 ざわりと襟首の毛が逆立ち、あたりの空気がエミルを中心に波紋を起こす。大気を振動させるほどの魔力の放出と、紡がれる独特の抑揚を持った呪文。
「何?」と、魔道士の男が目を見開いた。
 エミルの頭上の空間に、美しくも複雑な魔法印エレメントの紋様が浮かび上がる。呪文の詠唱に従ってそれは輝きを増し、渦を巻き、唐突にその中心がバカリと割れた。
 あたりに響き渡る、その空間の亀裂の向こうから聞こえてきた、高らかな獣の咆哮。
「まっ……まさか……!」
 目を剥いて、男が喉をひきつらせた。
 その視線が凝視する、エミルの頭上に開いた空間の歪みから、咆哮と共にのそりと何かが姿を覗かせる。それは真紅の、炎をまとった巨大な蜥蜴の上半身だった。
「サ、火蜥蜴サラマンダー!? まさかおまえ、召喚士……!?」
「いけッ!」
 男の叫びを完全に無視して、エミルが鋭く言った。
 その声に応え、火蜥蜴はひときわ高く吼えると、火炎の帯を吐き出した。炎の奔流はあたりを真紅に輝かせ、それは驚愕と恐怖に打ち据えられて身動きすらできなかった魔道士の男を簡単に飲み込んだ。
「ひえええぇぇぇっ!」
「きゃあああー!」
 地霊の兄弟達が、悲鳴を上げながら、炎が生じさせた突風に煽られてどこかへ転がっていった。
「……っつ……!」
 レラは壁のぎりぎりまで下がって炎の熱からなんとか逃れ、驚きと畏れとに震える瞳をただ見開いていた。
 炎を吐き終えた火蜥蜴は、戻ってゆく空間の歪みに巻き込まれるように、瞬時に消滅する。
 それと共に火炎の輝きも消え、嘘のように夜の静寂が戻ってきた。
 エミルは静まり返った路地に、茫然としたように立ち尽くしていた。
 かくりとその膝が崩れたところに、レラが信じられないものを見るように呟いた。
「あなた……」

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