プニプニパニック ~そして街は戦場になった~ (中編)

「どぅうわぁぁあああっっ!!」
 絶叫。まろぶような足音。何かが倒れる騒音。そして、それらのすべてを飲み込む圧倒的質量感を持った何かが、低くどろどろと押し寄せる物音……。
「ひいいぃぃぃぃーっ!!」
 あらん限りの空気を肺の中から搾り出すように絶叫しつつ、カーレルはやみくもに路地を走っていた。どろどろどろどろ……と、その背後に迫る不吉な響き。
 頭上には、いつも通りの青空。
 恥も外聞もなく突っ走る路地の行く手に、行き止まりを示す錆び付いた鋼のドアが現れる。おそらくあのドアの先は、誰かの私有地なのだろう。ドアの錠は頑丈に下ろされ、こじ開けるなどできそうもない。
 逃げ道を失い、追い詰められてそのドアに張り付いたカーレルの視界に、勢いあまって転げるようにエミルが飛び込んできた。
「お、お師匠様……み、短い間でしたけど、お世話になりました……」
 息も絶え絶えに、ドアに取り付いてやっと身体を支えながら、エミルが言った。
 カーレルはそれをギンッと睨みつけた。
「こーゆーくっだらねえも極まる状況で、そんな深刻なセリフ吐くんじゃねえっ! なんだかうっかりそーゆー儚い気分になっちまうじゃねえか!」
「だ、だってえ」
 涙目になってカーレルを見上げたエミルは、そのまま恐怖におののいた目を背後へと移動させた。
 どろどろどろどろ……と、不吉な物音を立てて高波のように迫ってくる、無色透明の弾力ありそうなぷるぷる。正式名?を「プニプニ」というそれの、恐ろしいまでの「大群」に。
 プニプニの大群は、もはや数を数えることなど不可能な有り様で、最も高いところで建物の二階の窓にも届きそうなほど積み重なり、まさに大波と化していた。
 それがまるで水がなだれこむ要領で二人のいる路地に侵入し、路地にあるすべてのものを飲み込みながら押し寄せてくる。その質量の凄まじさを物語るように、路地の両脇の建物は軋み、地面が細かく振動していた。
 何事だろうと、二階の窓から姿をのぞかせた住人達が悲鳴を上げて、慌てて奥に引っ込む。路地を埋め尽くすプニプニが密集し、圧力に耐えかねた窓ガラスが、次々に割れていく。そこからプニプニ達がなだれ込んで来たのだろう、住人達が上げるパニックじみた悲鳴が、あたりに響き渡っていた。
「くそったれ!」
 カーレルが行く手を阻む鋼のドアの錠に破砕魔法を叩き込み、吹き飛ばした。
 エミルもろとも全身で押しやるようにして重いドアを開き、通り抜けると、ドアを閉めて再び魔法を放つ。ただし今度の魔法は破砕・光熱魔法ではなく、一瞬のうちに鋼のドアを氷漬けにした。これならば、多少は時間を稼げるだろう。
「今のうちに逃げるぞっ!」
 叫び、カーレルはエミルを引きずるようにして再び駆け出した。


 ……つまり早い話が、昨夜ボーマン博士は魔道士カーレルに「仕事」の依頼に来たのであった。
「うっかり何をどう間違えたのかわかんないけど大量発生させちゃったプニプニを始末してくれ」
 というふざけた内容であったが、「仕事」と言われればカーレルもむやみに蹴れない。
「最近ロクな仕事が来ねぇ……」とぼやきながらも引き受けたが、今日はもう遅いので、明日になってから出向こうということに話は落ち着いた。
 今にして思うと、たかがプニプニと侮っていたわけだが、すでにあとのまつりである。
 ボーマン博士の私邸兼研究所に一晩放っておかれたプニプニは、培養液の中で増殖を繰り返し、翌日、すなわち今日になったら、その数を凄まじく増やしていた。
 ボーマンが依頼に来た時点では、せいぜい研究室の床を埋める程度だったらしいプニプニは、一夜明けたら研究室いっぱいに増殖してその内圧により壁を突き破り、ボーマン邸から外部にあふれ出していた。
 小さなやつが一匹いるだけであれば、まだ独特の愛嬌によって「かわいいかも」などともてはやされないでもないプニプニも、人間の胴体ほどにまで膨れ上がり視界のすべてを埋め尽くすようになれば、もはやおぞましき異世界的脅威である。石畳から建物の壁から街路樹から植え込みから、すべてに大量にからみついて、道行く人々や近所の住人に襲い掛かっているさまは、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図もかくやというところ。
 というか実際にはプニプニには何の攻撃性もなく人畜無害なのだが、そんな得体の知れないモノにからみつかれた人間にしてみれば「襲われた」としか言い様がなかった。
 街のそちこちで悲鳴と怒号が上がり、人々は逃げ惑い、中には果敢にも手近な火掻き棒やスコップなどを手にプニプニと奮戦する者もいたが、ばよよょんと弾力に富んだプニプニは普通の打撃など受け付けず、ただひたすら、うぞうぞと蠢いているばかりである。
 そしてついに、増殖し続けるプニプニ達は、寄り集まって大きな高波と化した。
 その有り様をボーゼンと眺めていたカーレル達は、鉄砲水、あるいは暴走した重機関車のような怒濤の勢いを持ったそれに、なすすべもなく逃げ出してきたわけである。
 ──まさに街は、戦場と化していた。

「なんだかなぁ……」
 どうにかプニプニの大群を引き離し、道端に座り込んで呼吸を整えていたカーレルは、気の抜けた声で呟いた。
「ボーマンの野郎、俺に恨みでもあるんじゃねえのか。なんだってこんな面倒事の始末を押し付けるんだ……? そりゃ街ごと焼き払ってもいいってなら、あんなプニプニごとき何てこたねぇが。ボーマンちと違って、ンな真似はまさかできねえし……」
「家ごと燃やすつもりだったんですか……」
 最初どう対処する腹積もりでボーマン邸に行ったのか、それをうかがわせるブツブツとした呟きに、エミルは乾いた笑みを浮かべた。
「そりゃ恨みの一つや二つや三つ、あるんでしょうねえ、きっと……お師匠様とボーマンさんのおつきあいがどんなものだったのか、僕には知る由もありませんが」
「どーいう意味だよ」
 ちなみにボーマンとは、大量のプニプニが鉄砲水と化した時点で、パニックに巻き込まれて離れ離れになってしまった。今頃どこでどうしているのやら、である。
 カーレルは腹立たしそうに、バンと地面を叩いた。
「くそぉ! あんなモンに無様に追いかけられる予定なんざ、俺様の輝かしい人生の設計図には入ってなかったぜ! なんかだんだん腹が立ってきたぞ!」
「……八つ当たりはやめてくださいね」
 はああぁぁ、とエミルが疲れ切った溜め息を落としたとき。
「ふっふっふ……てこずっているようだな、黒魔道士よ」
 頭上から、そんな声が落ちかかってきた。
「……ボーマン!!」
 上を振り仰いだ二人の視界で、二階建て家屋のてっぺんにどうやってかよじ登ったらしいボーマンが、白衣を風にたなびかせ、胸を反り返らせて高笑いをしていた。
「はあっはっはっはあっ!! プニプニごときに手も足も出ぬとは、『魔剣グラム』だのという通り名を持つ天下の大黒魔道士が、なんともはやブザマなものよのう!!」
「てめえ、この野郎! 何吠えてやがる、全部てめーのせいだろが! 降りてこいっ!」
「やだよん。だって恐いもん」
「とかいって、すでにおもしろがってねーか、おまえ?」
「ふっ……人々が血相を変えてうろたえ、あられもなく右往左往する様を上から見下ろすのは、たまらぬ愉悦を生み出すものよ……」
「……殺す」
 カーレルの全身から殺意が立ちのぼったのに、エミルが胸元で主神セリアの聖印を切り一歩下がった。しかし止めようとはせず、冷めた瞳で言う。
「お師匠様。どうぞお気のすむまま……」
「おう!」
 一声応えて、カーレルは天翔魔法を展開する。ブワッとカーレルを核に突風が巻き起こり、何の目に見える支えもなく空中に舞い上がったその身体は、一瞬のうちにボーマンのいる屋根に降り立った。
 顔をひきつらせて逃走に移ろうと後ずさるボーマンに、にやあっと笑いかける。
「逃げてもいいぜ。背後からブッ放つだけだからな」
「な」
「いいって。逃げろよ。俺は逃げる相手でも容赦なく攻撃する。無論、無抵抗の相手でもな……どうした、逃げないのか? 頼むから逃げてくれないかなあ?」
 まさに悪魔の笑みで嬉しそうに追い詰めるカーレルに、ボーマンは腰を抜かし、「ひいぃぃ……」と哀れな声を上げてへたり込んだ。
「やっぱ、止めた方がよかったかな……」
 そのやり取りを聞きながらエミルが呟いたとき。
 どおおぉぉん……と、腹に響く轟音が聞こえてきた。
 振り向いたエミルは、少し先の曲がり角の向こうから、まさしく鉄砲水の勢いで、陽光に輝くプニプニの波が押し寄せてくるのを見た。
 逃げることもできず、エメラルドグリーンの目を見張ったまま、一瞬でそれに巻き込まれる。
「エミルッ!」
 カーレルがそれを見て、すかさず魔法を編み上げた。怒濤のような勢いでエミルをどこかへ押し流すプニプニの大群のど真ん中に、屋根の上から力任せに巨大な暗黒の火炎球を撃ち込む。
 じゅううぅぅっ!
 高熱の火炎に、一瞬にして大量のプニプニが蒸発した。群れがそこで切断され、怯んだようにぷるぷる震えながら驀進が止まる。
 カーレルは一気に二階の屋根から地面に飛び降りると、数十メートルは一瞬で流されてしまったエミルのもとへ駆け出した。
 幸いエミルは、群れが止まったことでまだしも動けるようになり、自力でプニプニの間から這い出て来ようとしていた。
「ううっ……た、確かに無害かもしれないけど、やっぱり気持ちのいいものじゃないですよお、これは……なんか寒天漬けになったみたいです。うえぇ」
「つーか。おまえショックで気が付かなかったみたいだが、プニプニに呑まれたままでいたら窒息死するんだぞ」
「えっ!!!」
 カーレルに腕を引っ張られて、なんとかプニプニの間から脱出したエミルは、今さらながら愕然としたようにプニプニ達を見下ろした。その額から、血の気がひいていく。
「お師匠様……僕は今助けてもらえましたけど、これ、街全体にとって、実はひょっとしたらとっても危険な状態なんじゃないですか?」
「だよなぁ。このままほっといたら、プニプニに呑まれて溺死するよーな奴が出てくるかもしれんなあ」
 ぼりぼりと頭を掻いて、カーレルはあっけなく頷いた。
「そんな間抜けな死に方、したくないですね……いろんな意味で」
「おうよ。ったく、ボーマンのあほたれが。役に立つ発明なんざ一度たりともしたことがねえくせに、こういう面倒事だけはイカレ科学者らしく的確に引き起こしてくれるんだよなあ」
 カーレルは深呼吸の要領で大きく息を吸い込み、遠くの屋根の上でまだ座り込んでいるボーマンに声を投げた。
「ボーマン! 今回の仕事料は高くつくからな!」
 そして再び蠢き出したプニプニの大群に向き直ったカーレルは、凄みのある笑みを浮かべて、ばきばきと指の骨を鳴らした。どうやらよっぽど、街の安全を考えれば逃げ回らざるを得なかったことが面白くなかったらしい。
「さあってと。どう料理してやろうかなあ? こうなりゃたかがプニプニとはいえ立派な街の脅威だから、多少建物がぶっ壊れようとみんな許してくれるはずだし……まぁよしんば許してくれなくても、俺の後ろで糸を引いてたのはイカレ学者だし、弁償請求も慰謝料請求もみんな向こうに行って俺は存分に暴れてスカッとできる、と。全面的に万事つつがなく解決か。くっくっく……」
「悪党……」
 天を仰ぎ、再び聖印を切ったエミルを見なかったふりをして、カーレルは嬉々として空中にエレメントと呼ばれる魔法印を描き始めた。
 遠くの屋根の上で悲鳴じみた制止の声を上げたボーマンにまず一発ぶち込んでから、カーレルは本格的に街の破壊、もといプニプニの一斉掃討に取り掛かったのだった……。

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