プニプニパニック ~そして街は戦場になった~ (前編)

 エミル少年の、魔法における師匠である黒魔道士カーレルには、奇抜な、というよりも奇特な知り合いが多い。

「……あれ?」
 その日の夕方近く、バイト先の食堂兼居酒屋「ドラム・カン」からの帰宅途中。エミル少年は道端で妙なものを見つけた。
「なんだろう、これ」
 見たまんまを言うなら、「無色透明でつやつやしてて弾力のありそうなプルプル」である。ありていに言えば「出来損ないの崩れかけて溶けかけたゼリー」。
 大きさは掌にすっぽりおさまるほど。何やら綺麗な透明度の高さにひかれて、エミルはしゃがみ込んで、路地裏の隅にぽちんと落ちていた「それ」を観察した。
 と、エミルの視線を感じでもしたように、「弾力ありそうなプルプル」は小刻みに震え始めた。まるで恥じ入るように、びろんと伸びていた全体をちぢこめる。
 その、なぜか妙な愛嬌のある動きに、エミルはつい数分の間観察を続けてしまった。
「……なんだ、これ……?」
 だいぶ長いことそうして非生産的な時間をすごした後、エミル少年はあらためて呟いた。

「駄目ですよカーレルさん! もっと真面目にやってください!」
 シャザレイム城下町の一角にある安宿「こんな宿もあるさ」亭の食堂ホールにて。
 今日は宿屋の主人トーマスが、何やら消防団の会合に出かけるとかで早めに店じまいしたそこには、すでに客の姿はない。トーマスの愛娘リラが、宿の店番として残っている。ちなみにリラは、栗色ストレートの髪が背の半ばまで揺れた、女性のわりにかなり背丈のスラリと高い、十八歳の清楚系な美人である。
 そのリラは今、使い込んだモップを片手に、はきはきとした声を飛ばしていた。
「そんなやる気のない磨き方、建物の方でもきちんと分かるものなんです! もっと心と気合を込めて、隅から隅まで丁寧に磨くこと! わかりましたか?」
 生き生きと指示を下すリラの前には、いかにもダルそうにモップがけをしている、エプロン姿の派手な赤毛の若者──カーレルがいた。
「大陸でも指折りの黒魔道士」である彼が何ゆえ安宿のモップがけなどをしているか、といえば、ひとえに積もり積もった宿代その他の借金のカタにであり、そして掃除は下働きの基本であった。
 もっとも、ごくごく一般的な街人の身なりでしかない彼の素性が「魔道士」などとは、言われなければ誰も分かりはしないが。
「へ~い。わっかりやしたぁ~」
 身長もあり見てくれもそう悪い方ではない、しかし目つきはべらぼうに悪い若い男が、いかにもかったるそうにかすかすとモップがけをしている姿は、お世辞にも格好良いものではない。
 そのやる気とか勤労意欲のまったく感じられない様子に、リラはやや憤然と細い腰に手を当てた。
「もう! なんですかその返事は。生活の基本たるお掃除も満足にできないようじゃ、この先長い人生ロクなことになりませんよっ」
 言葉こそきついものの爽やかで嫌味のないリラの様子に、カーレルはちょっと感心したように手を止めた。
「なんかリラ、一生懸命で幼稚園の先生みたいだな」
「カーレルさん、自分が幼稚園児並みだということを自ら認めるんですね」
「いや、そーいうコトじゃないが……」
「ああもう、わかりました。では今日のところは、私がモップがけのお手本を見せてあげます。明日からは、ちゃんと一人でやって下さいね」
 リラはカーレルの手からモップを取ると、目つきを鋭くしてスチャッと構えた。
「では……参ります」
 神妙に呟き、次の瞬間、彼女は掛け声もろともずざざざあああぁぁっとモップと共に遠ざかっていった。韻々とこだまするドップラー効果。通路の最も奥深いところにまで瞬時に到達した彼女は、スカートの裾を華麗にひるがえしつつ見事なターンを見せ、再びモップと共に駆け戻ってくる。
 そんなことを数度繰り返すうちに、ものの数分で、あたりの床はぴかぴかに磨き上げられていた。
「……まあ、ざっとこんなものですわ」
 ふわっと栗色の髪をひるがえしてカーレルの前に停止したリラは、額に輝く汗をぬぐいながら爽やかな笑顔を見せた。
 思わずカーレルは、ぱちぱちと拍手をした。
「見事だ。まさしくプロの妙技というに相応しい」
「ふふふ。物心ついたときにはモップを愛でモップと共に生きていた、モップ使い選手権で優勝を飾ったこともあるこの私の技を間近で見れるなんて、あなたは運が良くてよ……」
「……どーいう選手権なんだ、それ……?」
「まあとにかく、明日からは、お一人でやってくださいね、カーレルさん♪」
 にっこり、と笑い、リラはカーレルの肩をポンと叩くと、ハミングしながらモップを片付けに立ち去っていった。
 髪質が硬いため短い部分があちこち立っている頭を掻きながら、カーレルは何気なく振り返る。その目線の先で、宿屋の入り口である両開きドアが開いた。
 ふわりとした金髪に、明るいエメラルドグリーンの瞳を持った少年──バイト先から戻ったエミルが、そこには立っていた。
「あれ、お師匠様。エプロンなんか着けちゃってどうしたんですか……ああ、お店のお手伝いですね」
「おう。まあ今日はもうしまいだ」
「随分早いですねえ。掃除なんかやったことないしできませんってフリして、無理やりリラさんにお手本がてらやらせたんじゃありませんか?」
 人聞き悪いこと甚だしい、しかし的を得ているようでもあるエミルの発言に、カーレルはヒクリとこめかみを動かした後、がこんと一発拳を食らわせた。
 エミル少年は出会ってこのかた続いている扱いの悪さに最近慣れてきたのか、ちょっと痛そうに殴られた頭を押さえただけで、何事もなかったかのように先を続ける。
「ところでお師匠様。僕、そこのところで妙なものを見つけたんですけど」
「なんだよ」
 エプロンをむしり取りながらぞんざいに返事をしたカーレルに、エミルはごそごそと上着のポケットから何かを取り出した。無色透明、「弾力ありそうなプルプル」である。
 エミルの掌の上でぷるぷる震えているゼリー状のそれを見たカーレルは、露骨に呆れた顔をした。
「おまえ……ガキじゃあるまいし、なんでもかんでも落ちてるものを拾ってくるなよ」
「お師匠様、これが何なのかご存知なんですか?」
「そりゃ水辺に住んでる『プニプニ』っつーモンだ。非常に原始的な構造の単細胞生物で、水の精霊の使いとか妖精の一種とか言われてるが、正体はよく分からん。綺麗な淡水のそばじゃないと生きられないから、清浄な水の象徴として地方によっては大事に崇められたりもしてるな」
 カーレルはさりげなく博識をアピールし、ふむ、と顎に手をあててその「プニプニ」を見下ろした。
「なんでこんなモンが街中にいるんだ? こないだの嵐に乗って運ばれてきたのかねえ。こういうの『はぐれ』っつーけど」
「はぐれプニプニ……」
 その妙にシュールな言葉をエミルが繰り返したとき、
「うわーははははははははッ!!」
 いきなり宿のドアが外から蹴り開けられ、そんな哄笑が飛び込んできた。
「それはカーレル! 聞かせてやろう! 貴様に引導を渡してやるためだあっ!」
「なっ、なんだ!?」
 唐突に吹き荒れた突風を背に、蹴り開けたドアのところに立ったまま、その人物は驚いているカーレルに指を突きつけた。くたびれた白衣姿の、丸眼鏡をかけ背骨のすっかり曲がった、白髪の老人であった。
「人の噂も七十五日と言いながらっ、街に溢れ巷に氾濫する貴様の悪評の絶えたことはなくッ、耳にするのは聞くにも堪えぬ陰惨かつ無残極まりない失敗談ばかり! これは捨ておけぬと、この正義の天才科学者が総力をあげて結集した科学の叡智と万能の落とし子をもって、悪逆非道の魔道士に天誅を加えんが為ここに参上つかまつった次第であるッ!」
「なんだ……イカレ学者のボーマンじゃねえか」
 もはやわけのわからない老人に、つまらなそうにカーレルが呟いた。
 くわっ、とボーマンなる白衣の老人は充血した目を吊り上げた。
「ぬうっ、イカレ学者とはなんと捨ておけぬ悪意に満ちた言いざまよ!」
「俺だって捨ておけんわ、さっきから!」
 瞬間に編み上げた破砕魔法をカーレルが放つと、どかぁん! とボーマンを中心としたあたりが爆発し、「うぎゃああぁぁあっ!!」という悲鳴を巻き込んで椅子やらテーブルやらを吹き飛ばした。
「あ~あ~……」とエミルが額を押さえ込んでいるのを無視して、カーレルは小規模爆発の中心地に足を運んでいく。
 そこは小型クレーターのようになって、床板を突き破ってえぐれていた。その底でブスブスとくすぶりながら、ボーマンが大の字になっていた。
「ふ、ふふっ……腕をあげたな、カーレルよ……」
「何しにわいたんだよ、おまえ」
 小型クレーターの底に張り付いたまま薄く笑ったボーマンに、カーレルは冷めた視線をそそぐ。
 ボーマンはむくりと起き上がり、眼鏡のブリッジをくいっと上げて位置を直した。
「崇高なる任務に日々いそしむ天才魔道士の成長ぶりを見に来たのさ」
「さっきと言ってることが全然違うじゃねえかッ!!」
 情け容赦のカケラもなくカーレルがクレーターの底に衝撃波を撃ち込み、這い上がりかけていたボーマンを悲鳴と共にさらに地中深くえぐりこませた。
「ああああぁ」と、言葉もなく、エミルは隅の方にしゃがんで頭を抱えていた。

「つまり私は、誰もが不可能だと信じて疑わなかった『プニプニ』の人工培養に成功したのだよ、カーレル君」
 と、ボーマン天才博士(自称)はヒビの入った眼鏡の向こうで目を光らせた。白衣はボロボロに焦げ、白髪もちぢれていたが、肌は健康的につやつやし、存外に元気そうである。
 カーレルがぶち抜いた床板には、応急処置としてベニヤ板が敷かれ、食堂の適当なテーブルに座って彼らは会話していた。
「ほう……」
 と、これは興味もなさそうな半眼で見下ろすカーレル。
 その隣にはエミルがなんとも所在なげに座り、さらにその横には、お茶を運んできたまま興味深そうに成り行きを見守っているリラが、お盆を胸に抱き締めて立っていた。
 ちなみにリラは、ぶち抜かれた床板については、「慣れてますから」という日頃のカーレルの行いと人格を疑わせるような爽やかな笑顔を返しただけだった。
 そんな彼らをよそに、ボーマン博士(自称)は拳を振り上げ、一人熱烈な盛り上がりを見せて語っている。
「科学という言葉が生まれて幾星霜、誰もが試みそして誰もが叶わなかった人類史上最も崇高にして悲願であった並ぶものなき快挙! 原始生物『プニプニ』の生態系をあますところなく白日のもとにさらし、その神秘的な生きざまを誰もに手軽に観察してもらうべく培養の必要に迫られた不肖・ボーマンが、遂にそれを実践可能な理論として完成させたッ! そしてその正しさを自ら立証すべく培養した『プニプニ』の一匹が逃げ出し、そこにいる金髪の美少年にたまたま拾われたというわけだな!」
「……で、それがなんで『俺への引導』になるんだ?」
「言ってみただけだよーん」
 カーレルが無言で立ち上がり、こめかみばかりか手の甲にまで青筋を浮かせて、ボーマンの胸ぐらを掴んだ。
 ボーマンは急に唇をとがらせて、ぷいっとそっぽを向いた。
「なんだいなんだい。無力にして無防備な老人相手に、魔法なんていう非常識なもんを食らわせたくせに……しかも二度もさ。いいじゃん、それくらい」
「いきなり拗ねるな、このボケ老人がッ! つーか原因を作りやがったのはおまえだろうが!」
「むうっ、なんという思いやりに欠ける差別用語か! 許すまじ人面獣心の輩よの!」
「やかましいッ! だいたいおまえ、ホントに何しに来やがったんだ!? エミルがぷるぷるだかプニプニだかを拾ったのは単なる偶然だろーが!!」
 カーレルに胸ぐらを締め上げられたボーマン博士は、その言葉に、不意に見開いた目を涙で潤ませた。
 びびって思わず解放したカーレルの手を、ボーマンは恐ろしい素早さでヒシッと握り締め、感涙にむせびながら言う。
「よくぞ聞いてくれた、我が心の友よ……」
「……なんか、すっげえ嫌な予感がするんだけど……」
「実はね、あのね……とぉってもぉ、言いにくいんだけどぉ~」
「ええい、気持ち悪ィ喋り方をするなッ! キリキリ喋れ、聞いてやるから!」
「……培養しすぎて、今家にプニプニが溢れてどうしたらいいのか分からないんだよおぉ~っ!!」
 わあああっと号泣したボーマン博士に、カーレルは目眩を覚え、額を押さえてくらくらと椅子に座り込んだ。
「……あの。誰なんですか、あのボーマン博士って人は」
 ようやく静けさが訪れた時、エミルはこそっとリラに尋ねた。リラは平静な笑顔を返し、
「ああ、カーレルさんのお友達ですよ。なんでもその昔カーレルさんが行き倒れていたのを、通りかかったボーマンさんが拾ったとかで。死体と思い込んでて、解剖しようと思って持ち帰ったら、カーレルさん、いきなり蘇生したらしいですね」
「……破滅的な人が命の恩人なんですね、お師匠様って」
 もっとも、破滅的という部分ではカーレルも大差はないが。
 ろくでもないことになりそうな雲行きに、エミルはただ、漫然と溜め息をついた。

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